ども、低俗愛好家です。
前回、低俗な音楽としてバルカンポップフォークを紹介したが、低俗なようで実は低俗ではないけど結局のところ低俗なんじゃないか?って話。
バルカンの音楽から文化を考察。
まずはこちらを。
ルーマニアが誇る美のカリスマ、アントニア。
日本で例えると……安室奈美恵のようなカリスマ性と、北川景子の『なりたい顔ランキング』不動の1位感を合体させたみたいな?
ちなみに、彼女はそろそろ40才で、3児の母である。
売れてない奴が注目を集めるために露出を高めてみた!とかではない。ルーマニアにおける美の絶対基準である彼女は、そんなことをしなくても十分な人気がある。
なのに、この露出!!
そして大事なことだが、アントニアはGlobal Records所属のアーティストで、マネーレ界隈から遠いところにいる歌手だ。
15年ほど昔に遡ろう。
ルーマニア産ダンス・ミュージックの“ポップコーン”が全盛期だった頃だ。
まさにポップコーンらしい音だが、問題はそこじゃない。
ムダ乳にムダ尻!!
ムダにすぐ見せたがる!
大事なことだが、アンドレーアはポップ歌手であって、マネーレ界隈の人ではない。
どんなにメインストリームにいる歌手だろうが、こういうところにマネーレやチャルガのようなバルカンポップフォークに通じる“バルカン性”を感じるのはオレだけか?
音楽的要素ではなく、文化的要素。
ムダ乳とムダ尻は置いといて、そもそもポップコーンというジャンル自体もポップフォークに似ていた。
先ほどのアンドレーアの『Like A Bunny』もそうだが、ポップコーンの曲は馬鹿の一つ覚えみたいに青空、海、陽気なリズム、水着の女たちをワンセットですぐ出しがち。
まさにステレオタイプな“陽気なラテン”を演出しているわけだが、オレから言わせれば……
陰キャのくせに陽キャのふりしてる。
そんなんじゃないじゃん、あなたたち。
ポップフォークも似ている。
チャルガのMVを見て聴いて「ブルガリアは美女たちが『セックスしたい』なんて歌を出すくらい性に奔放でハーレムみたいなところなんだ!」と、鼻の下をのばして行ってみ?
ゴリゴリに保守的なド田舎でびっくりするぞ!!
ヤリマンだらけのパーリーピーポーと思いきや、畑で芋つくってる。
ポップフォークも、ポップコーンも、国民性や実態を表しているんじゃなく、バルカンらしさを表現しているだけ。
じゃ、バルカンらしさって何?ってところだが……
ロマの存在は避けて通れない。特に音楽において、ルーマニアではラウタリ(ロマ職業音楽家)の影響は多い。
これはTaraf de Caliuというグループ。
昔は結婚式とか祝祭、宴会にラウタリを呼んで演奏してもらう……要するにパーティー音楽のプロ集団。
このラウタリが演奏していたような音楽と、ポップ・ミュージックを合体させた「低俗な音楽」ポップフォークも結局のところ“パーティー音楽”の延長にあるのだ。
そういう意味で、ポップコーンで“陽気なラテンのパーリータイム”を表現しているのもまた同じ。
陰キャ・ラテンが「こうありたい」という願望から“陽気なラテン”感を出しながら、バルカン的なパーティー音楽になってる。
前回、ルーマニアにおいてマネーレは人気があるけど嫌悪されていると書いた。
そんな大いなる矛盾の中で、なかなか興味深い曲がある。
いくつもナンバー1ヒット曲を持ち、ルーマニアのポップミュージック界では主流に位置するトップアーティストのひとり、ニコール・チェリー。
彼女の曲『My Love』は、「飛行機に乗って見知らぬ場所にやってきた」という外国人の視点でルーマニアについて歌っている。
何も知らない外国人がマネーレに出会ったという設定。
What is this? Manele?(これは何?マネーレ?)
I’ve never heard of this(聞いたことないな)
But it makes me move(でも、体が自然と動き出す)
It makes me dance(踊りたくなる)
賛否両論がすごいマネーレを肯定も否定もしない⋯設定を外国人という第三者の視点にしてる⋯かなり気を使った曲に思えるが、注目したのは二つ。
歌詞の、マネーレなんて知らんけど「自然と体が動き出す、踊りたくなる」という、ルーマニア人のDNAに刻まれたパーティー音楽としての系譜がマネーレの音にも連なっていることを認める内容。
映像の、最初はしかめっ面していた人たちが最後は笑顔になる、マネーレの賛否両論を暗示してること。
ポップの主流にいながら、あえてマネーレをテーマにしたなかなか挑戦的な曲。ただ国内では、もともとニコール自体が多ジャンルをこなすカメレオン的な歌手として認知されているので、その延長としてキャッチーな曲として好意的に受け止められている。
オレはけっこうメッセージ性が強いと思うけど。
さて、ラウタリ(ロマ職業音楽家)は音楽を演奏する人たちであって、演奏される音楽自体は中近東のオリエンタルな音の影響を多大に受けているのがバルカンらしさ。
オスマン帝国を経由して入ってきた“中近東っぽい”音。
ブルガリアやセルビア、ギリシャなどは500年近く、ルーマニアは直接統治より属領として300~400年くらい、ハンガリーはハプスブルク家に割譲されるまで150年くらいオスマン帝国の支配下にあったから、けっこうがっつり影響を受けている。
ロマ的なパーティー音楽というバルカン性、オリエンタル的な旋律というバルカン性が非常にわかりやすいブルガリアのチャルガの一曲。
「ATMで金を下ろしてパーティーを楽しもうぜ!」という何の中身もない“低俗な”チャルガ曲だが、バルカン性の全てが詰まってる。
曲タイトルに入ってる『Кючек(キュチェク)』はブルガリア語だが、バルカンではチョチェクとかチュチェクとか言語によって少し変化するが、どれも元々はトルコ語のKöçek(キョチェク)から来ている。
曲の後半にダンサーが登場するが、バルカンにおいてはロマが演奏するパーティー音楽の一種のことで、ベリーダンスの伴奏でもある。
500年近いオスマン帝国の支配が残していったのは、音階という「音」と、ベリーダンスのようなオリエンタル的な「魅せ方」のセット。
古代中近東から続くベリーダンスの本質は、ただの誘惑ってより“女性的な生命力の誇示”。
バルカンのディーヴァたちがすぐムダ乳&ムダ尻を出しがちなのは、サービスなんかではなくオリエンタル的な「自分の美という圧倒的な力を観客にぶつける」示威行為なんじゃねーか。
見られるためってより、見せつけるため。
見よ!私の美貌と乳と尻を!
私の圧倒的な美の前にひれ伏せ!的な。
過剰なまでのセックスアピールは、オスマン帝国を経由して伝播したオリエンタル的な「魅せ方」がバルカンで土着化したもので、アントニアのような一見するとマネーレとは遠いところにいるスターでもつい示威行為として脱いじゃう……実はバルカン的なこと。
ということで、パーティー音楽、オリエンタルな音階と魅せ方、ここら辺が“バルカンらしさ”と思ってる。
そして、低俗な音楽バルカンポップフォークは中身は空っぽだが、これらを全て満たしている。
一見するとバルカンポップフォークとは遠いところにいるはずのポップコーン音楽もパーティー音楽らしさやオリエンタルな魅せ方で……ポップの本流にいるディーヴァたちもムダ乳とムダ尻というオリエンタルな魅せ方で……バルカンらしさを出しちゃってる。
そういう目でバルカンを俯瞰して見る。
セルビアのポップフォーク『ターボフォーク』のミリツァ・パヴロヴィッチ。
セクシー・ミリツァの異名を持つ、セルビアの歌姫。
バルカン的な音に載せて、私の美貌と肉体美を見よ!とばかりにアピールする、こてこてのバルカンらしさ。
一方、クロアチアにおいてターボフォークは“セルビアの音楽”扱いをされ「西欧である我々は、セルビアみたいな泥臭い田舎のバルカンとは違う」という意識が強い。
そういう点ではルーマニアみたいな立ち位置にいるが、そんなクロアチア人の自意識を根底から揺さぶるのがポップスの女王セヴェリナの存在。
ゴリゴリにバルカンくせー!!
自意識ではバルカンではないと信じたいがバルカン文化の血が流れているクロアチアも、ルーマニア同様にバルカン的な音楽をバカにして嫌っているけど実は好き。
こちらはアルバニアの絶対的女王エルヴァナ・ジャタ。
本来彼女はアルバニアのポップフォーク『タラバ』側というよりポップス側の人だが、魅せ方でバルカン性を備えている。
己の美貌と肉体美を見せつける示威行為は、もはやバルカンのディーヴァの流儀。
続いてギリシャのポップスの女王、エレニ・フレイラ。
彼女もまたギリシャのポップフォーク『ライコ』側の歌手ではないが、長年隠していたアルバニア系であることをカミングアウトしてからはバルカンらしさを隠さないようになった。
現代的なダンスポップの中にバルカンらしさを織り交ぜてくる。
地理的にオスマン帝国から遠いルーマニアがヨーロッパ的要素とバルカン的要素を上手く融合できるのに対し、西欧から最も遠くトルコに最も近いブルガリアはバルカン的要素が濃いのは仕方ない。
5世紀も支配されて、隣にいたら、そりゃ濃くなる。
ブルガリアのポップフォーク『チャルガ』は、キュチェクというロマのパーティー音楽性を、オスマン帝国からもたらされた中近東的な音階という耳に入る情報と、ベリーダンスの流れを汲む目に見える身体表現を継承した、低俗にしてバルカンの歴史を凝縮した音楽。
チャルガ界のスーパースター、ガレーナ。
「私の身体がみんなの視線を集めてる、長い夜になりそう、抱きしめて、止めないで」と歌う、要するにセックスの歌である。
低俗にしてバルカン要素を凝縮した音楽だが、ブルガリアに行ってもそんな激しさはない。
陰キャが陽キャのふりをしてるだけのバルカン芸。

