モンドセレクション金賞候補作(仮)4

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初日に失くしたもの

出発の朝、それまで住んでいた部屋の大家さんがボクたちの旅立ちを見送ってくれた。ボクと入れ替わりで部屋に住むことが決まっていた新しい住人も、生活用品が詰まった段ボール箱の横で鍋を片手にボクがさっさと部屋を明け渡すのを待っていた。

二人に見守られながら車のイグニッションキーをゆっくりと回すとドアをカタカタと揺らしながらエンジンが掛り、サイドミラー越しに黒煙が勢いよく吐き出されるのが見える。窓の外で手を振ってくれている二人に手を振り返しながら、ボクは車のアクセルを踏み込んで旅をスタートさせた。

住み慣れたシーポイントの住宅街を抜けて、シグナルヒルの麓を回り込むとテーブルマウンテンが姿を現した。この街のシンボルを窓の外に見ながら、次はいつこの美しい山景を目にするのだろうかと考えたら、ようやく旅のはじまりが実感を伴ってきた。オフィスビルが建ち並ぶケープタウンの中心地を右手に見ながらハイウェイに入り、左手に大西洋を望みながら一路北ケープ州へ向かう。

北へ向かって旅することを決めていたボクは、とりあえずケープタウンのある西ケープ州から北ケープ州を経由して国境を越えて隣国ナミビアに入国することを目指していた。ただ、西ケープ州で北海道の約一・六倍、南アフリカ最大の面積を持つ北ケープ州に至っては約四・三倍の大きさがあり、ふらっと通り抜けられるほどのお手軽感はない。距離を計算して旅の初日は北ケープ州のスプリングボックという町で一泊し、翌日にナミビアに入る予定を立てた。

ケープタウンを出てからは、それまで植物に覆われていた大地が北上するにつれて地肌を剥き出して荒涼とした姿に変わってゆき、大きな町も見なくなった。ほぼ一〇〇キロ間隔で点在する小さな町々を通り過ぎる程度である。運転はボクが行い、助手席の彼女は地図を手にナビゲートする役割分担だったが、延々と続く一本道に地図は必要なかった。

走り続けて五時間が過ぎ、変化のない景色にだいぶ飽きを感じていた頃、ようやくボクが住んでいた西ケープ州を出て北隣に位置する北ケープ州に入った。今日の目的地まで残りあと何時間かかるだろうかと気にしていると突然、反対車線側の草藪から灰色の丸い塊が飛び出してきた。ドキリとして見ると、ずんぐりむっくりした体形が特徴のホロホロ鳥であった。

ちょうど対向車も間近に迫ってきており、驚いたホロホロ鳥は一瞬動きを止めた。

「あっ、轢かれちゃう!」

ボクと同じことを考えたであろうホロホロ鳥は、危険を回避すべく再び走り出した。

そしてボクが轢いた……

飛べない鳥であるホロホロ鳥はフランス料理に重宝されるほど美味とは聞いていたが、鈍い音と共に後方に吹っ飛んでゆく姿をサイドミラー越しに見ても全く食欲は湧かない。

しかし、どうしても陽が沈んでしまう前にテントを張りたかったボクは止まって確認することなく、目的地であるスプリングボックまでそのまま走り続けた。買ってからまだ一度も広げたことがないテントを暗闇の中で張る自信がなかったのだ。

キャンプ場を見付けてようやく一息ついたところで、ホロホロ鳥との衝突を思い出して車のフロント部分を見てみると、補助ライトがケーブルでなんとか車と接点を保っているだけの状態でブラブラと垂れ下がり衝撃の強さを物語っていた。

だが、それだけではない妙な違和感がある。何かが足りない気がする。

しばらく車の前で腕組みをしながら考えていたら、その何かが分かってしまった。

ナンバープレートがない!

こうしてボクは、ホロホロ鳥を轢いた罰として旅の初日に大事なものを失くした。これから幾多の国境を越えるのか分からないのに、いきなりナンバープレートがない車になってしまったのだ。

翌朝、畳んだテントを車の荷台に放り込み、一目散にスプリングボック警察署へ行って相談をする。警察署か運輸局に行けばナンバープレートの再発行をしてくれるだろうという期待と、それが無理でもせめて紛失証明書くらいは作成して欲しいという願いを抱いて警察署に出向いたのだ。

「ノープロブレム!」

そんなことはどうでもいいかのように、対応してきた二人の警官が答えた。

「いやいや、絶対にプロブレムでしょ?」

食い下がってみるが、紛失証明書を作成する労力も面倒なのであろう、全く相手にしてくれない。そんなことよりも、彼らにとっては北ケープ州の田舎町に突然現れた東洋人の方に興味津々なようで、質問攻めにされる。

「どこから来た?」

「名前は何だ?」

ここで機嫌を取っておけばもしかしたらいいことがあるかも知れない、と考えたボクはかなり面倒くさかったが警官たちの相手をする。

「日本から来ました。いや、そんなことより車のナンバープレートはどうしたら……」

「オー、ニンジャ!!」

ダメだ、全く話が噛み合っていない。

「そうです、ボクがあのニンジャです」

完全に面倒くさくなったボクはあっさりと忍者であることを自白し、警察署を後にしようとした。

ところが、自分たちの目の前に立っているのが東洋の神秘である忍者だと分かった警官たちは興奮し出し、先ほどとは打って変わってナンバープレートの心配をはじめてくれた。

「段ボールをこれくらいの大きさに切ってさ、マジックペンで車のナンバーを書いて窓のところに見えるように置いておいたら?」

警察官が口にするような提案とはとても思えない内容であるが、相手は至ってマジメである。ぜひとも参考にさせてもらうと謝辞を述べて警察署を後にした。

なぜだろうか、車のナンバープレートを失くしたのは人生初のはずなのに妙なデジャヴを感じる。警察署で貰った段ボール箱の切れ端に、教えられた通りマジックペンでナンバーを書きながらはたと気がついた。

これはタイの運転免許証の時と一緒ではないか。

あの時も、免許証に記載されているボクの名前が間違っていると一生懸命アピールしたのにお役人は全く意に介さなかった。「マイペンライ」が「ノープロブレム」に変わっただけで、言っていることは同じである。最終的には気持ち程度の対応はしてくれたが、ボクが望んでいた公人としてではなく、あくまでも私人としての対応であったところも一緒だ。

違うのは、タイの時は免許証の一部分のみを手書きで修正しただけだったが、今回は車のナンバープレートそのものを段ボールに手書きして再現しようと、犯行がより大胆になっているところだ。さらに決定的なのは、タイの時は運輸局の担当官による犯行を見ていただけだったボクが、今回は警察にそそのかされたとはいえ自分自身の手を染めてしまったことだろう。

まさか旅二日目にして段ボールでナンバープレートを偽造することになろうとは思ってもいなかったが、このまま前に進むしかない。警察署を出た足でスプリングボックから一二〇キロ離れたナミビアとの国境に向かう。

地平線まで続く一本道から見えるのは、背丈の低い草が地面に這いつくばるようにちらほらと生えている以外はひたすら岩である。そして、その岩も先に進むに従って徐々に巨大になってゆき、岩砂漠に入りつつあることを教えていた。ただただ広がる荒涼とした大地が、ケープタウンに住んでいるだけでは味わえないアフリカを求めて旅に出たボクにとっては感慨深く映った。それは単純に景色の雄大さのせいだけではなく、もしかしたらこれが旅の最後に見る景色かもしれないという不安な心境が生んだ情緒的作用でもあった。国境で追い返されて南アフリカを出国することもなく、普通の一泊二日の≪国内ドライブ旅行≫で終わってしまう可能性に怯えながら国境を目指す。

自分の車で国境を通過すること自体が初めての体験なので、どれほど煩雑な手続きが待ち受けているのかも分からないことに加え、絶対的な弱みを抱えている身としては心配が尽きない。国境に到着し、イミグレーションでパスポートにスタンプを押してもらった後はいよいよ税関である。

「車内に武器は積んでいないか?」

悪事とは無縁なボクがそんな恐ろしいものを積んでいるわけがないと、精一杯の品行方正スマイルを税関職員に向けて完全否定する。

「よし、通ってよろしい」

文字通りそれだけであった。誰一人としてナンバープレートについて触れてくれないと、助かったという思いと同時に少し寂しい気持ちになるのはなぜだろう。

車内はおろか書類さえもチェックされず、拍子抜けするほど簡単に南アフリカを出国してナミビアに入国できてしまった。こんなに簡単に国境を越えてしまって良いのだろうかと、逆に心配になったほどである。

「まだ見ぬアフリカをこの目で見てくる」

大口を叩いて旅立った翌日にケープタウンに帰ったら、どんな顔をして皆に会えばいいだろうかという心配は杞憂に終わった。ボクはナミビアの道を再び北へ向かって走り出した。

最終的に、車で国境を越えた回数は九カ国一二回に上ったが、国境でナンバープレートがないことを指摘されたのはただの一度だけであった。

それも出国の際に「ここは出国できても、隣国では絶対に入国させてくれないぞ!」と散々脅された挙句に出国したのだが、当の隣国では何も言われず簡単に入国できたという一度である。

国境ではないが、警察の検問では何度か怒られた。ボツワナを走っていた時に警察の検問があり、ボクは止まるように命じられた。ホロホロ鳥のような体型を揺らしながらゆっくりと近付いてきたおばちゃん警官が、ボクを睨みつけながら聞いてきた。

「車のナンバープレートがないのはどうして?」

南アフリカでのホロホロ鳥との出会いと悲劇の別れを熱く語り、自作の段ボール製ナンバープレートを自慢げに見せると、ボクの意に反しておばさん警官の顔はさらに険しくなった。

「ちょっと、あんた! 車から降りてきなさい!」

おばちゃん警官の前で起立させられ、散々説教を食らった後に命令された。

「今すぐに直しなさい!」

「お言葉を返すようですが、南アフリカの車のナンバープレートは、外国であるボツワナでは直せないのではないでしょうか」

これにはおばちゃん警官も押し黙り、ボクはようやく解放された。

結局、出発直後のわずか五時間を除いて、旅の最初から最後までボクの車のダッシュボードの上には段ボールで作られたナンバープレートが置かれていた。

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