モンドセレクション金賞候補作(仮)3

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カウントダウン

旅に出る前にルートを決めようとアフリカの地図を凝視してみたが、線の太さの違いがどれほどの道路状況の違いを表しているのかが分からないのでルートを決めることも出来なければ、どんな旅になるのかのイメージも出来ない。細い線や点線で表されているような道は、そもそも車で走れるのだろうか。今の段階で分からないことをあれこれ考えても無意味なので、旅をしながら先々で次に行く場所を決めるしかなさそうだ。

とりあえずはケープタウンから大西洋に沿って北に向かってみることにした。

結局は方角しか決まらなかったので、旅の期間がどれくらいの長さになるかの見当が付かない。もしかしたら数週間かも知れないし数カ月かも知れないが、期間が長くなった場合のことを考えると、住んでいた部屋を引き払った方が良いかもしれない。

そのことを軽い気持ちで大家さんに伝えると、わずか数日後には次の入居者と入居日が決まってしまっていた。気の早い次の入居者は入居日に合わせて今住んでいる部屋を既に解約してしまったらしく、ボクは押し出される形で住むところがなくなることが確定。自動的に部屋を出て行かないといけない日が旅立ちの日になってしまった。

ようやく仮免許証を手にしたくらいで、まだ何の準備もできていないのに。

まさか大家さんに出発日を決められることになるとは思ってもいなかったが、強制出発に向けてのカウントダウンがまさにこの時から始まったのだ。正直なところ、強制出発の日までに残された準備期間は十分とは言えなかった。ただ、期限が決まっていないとついつい自分の中で言い訳を作って実行に移すのを先延ばしにしてしまいがちだが、強制的にでも期限が決まっていると実行に移さざるを得ない。

出発に間に合わせるために準備に追われる怒涛の日々が始まった。

まず、一人でキャンプに行くなんて寂し過ぎると考えたボクは、付き合っていた彼女を計画に誘ってみた。アウトドアに行って食事だけはレストランというわけにもいかないだろうが、残念なことにボクは自炊経験が一切ないので、料理担当がどうしても必要だ。彼女もアウトドア経験は皆無であったが、軽いノリで誘ってみると働いていた会社を辞めてボクの計画に参加することになった。

実際に旅に出る前に、自分なりのキャンプのイメージだけを元にキャンプ用品を買い揃えて、二人でキャンプの予行演習をすることにした。

買ったテントはコンパクトさが売りの重さがわずか二・五キロの野戦テントで、敵に見付かりにくい迷彩色なのが特徴だ。設営場所として戦場を前提にして作られているので、張るのが非常に簡単という点もアウトドア初心者のボクとしては大いに興味をひかれた部分である。あとは寝袋とインスタントラーメンがあれば十分なはず。これだけ基本的な装備があればアウトドアなんて余裕だろうと、レンタル料金が一番安かった街乗り用コンパクトカーに乗って一泊二日の予行演習に出かけた。

結果的にこの予行演習は非常に有意義なものであった。

まず、アウトドアにコンパクトカーは不向きであるということが分かった。キャンプ場までの道は大きな石がゴロゴロ転がっている未舗装道路であったが、こちらがヒィヒィ言いながら必死になって走っている横を大きな四輪駆動車が砂埃を巻き上げながら追い抜いて行く。四輪駆動車が羨ましいと生まれて初めて思った瞬間である。

次に、車で旅行する時はテントにコンパクトさは必要ないということが分かった。背負って行軍するのであれば重さ二・五キロの野戦テントは大きなアドバンテージになるが、車で運ぶのであれば重さは関係ない。重さよりも居住性で選ぶべきであった。

テントを張っている最中に気が付いてしまったのだが、ライトが必要である。自分自身が大人になってしまっている以上、大人がテントを張ってくれた小学生時代のキャンプ経験など何の役にも立たない。人生初の自力でのテント設営を説明書片手にしていたのだが、簡単だと思っていた割に悪戦苦闘している間に陽が暮れて説明書の文字が読めなくなってしまった。ここが戦場なら間違いなく戦死している。

さらに、テントを張る時はテントを固定するための杭を地面に打ち込む作業が必要などとは義務教育で習った覚えがないが、残念なことに実際にその作業は必要であった。手のひらで杭を打つのは痛すぎる。どうやらテントの設営にはハンマーも必要なようだ。

持参したインスタントラーメンを食べようとしたが、キャンプ場に電気ケトルもガスコンロもないのでお湯が作れず食べられない。インスタントラーメンを作る以前に、水をお湯に変える手段が必要だ。

ランプがないために、夕方六時半に陽が暮れてしまうと暗くて何も出来ない。何も出来なければ寝るしかないと寝袋で横になると、テントの下の小さな石が気になって全く眠れない。しかも地面が硬過ぎて不快指数は最高レベルである。もしかして寝袋の下に敷くマットが必要なのではないか、と気が付いた。

キャンプ場には他のキャンパーも数組いたが、皆一様に大きなテントの脇にテーブルを広げ、座り心地のよさそうなチェアに腰かけてランプの灯りの下で本を読んだりお酒を飲んだりしている。まだ燻っている焚き火の上には何かを調理したであろう網とダッチオーブンが置かれていた。振り返ってみれば、暗闇の中で灯りもなく存在感を消すボクの迷彩色の小さなテントがあった。チェアがないので座れる場所といえばテントの中だけだが、暗闇で大人二人が体育座りしてインスタントラーメンをかじっても全然楽しくない。

実際にキャンプに行ってみると、頭の中の妄想だけでは分からない様々な事実が判明した。後はこの予行演習で学んだことを元に粛々と準備を進めるだけである。全て計画通りなので、焦って部屋をウロウロ歩き回ってなど断じてない。

出発の九日前に運転免許の実技試験を受験した。

筆記試験の時とは打って変わって、実技試験の受験日に関してはなかなか特例を認めてくれなかった警部。だか、そんな状況などお構いなしに出発日は刻々と迫っていた。こうなったら玉砕を覚悟で最終兵器『ヘルガの誘惑』を投入するしかないのか?と、邪悪な企みが頭に浮かんでくるほど焦りで追い込まれていた末のぎりぎり九日前である。

南アフリカ人ですら半数以上が落ちるという実技試験を無事に一発合格できた。その日のうちに南アフリカの運転免許証を手に入れ、晴れて一部手書きの怪しい免許証ではなく普通の免許証で運転できるようになった。しかも、南アフリカの免許証は南部アフリカ開発共同体(SADC)に加盟しているアフリカ一六カ国でそのまま使えるので、国際免許証を発行する必要がないというおまけまで付いてきた。

「警部! ついに手に入れましたよ!」

すっかり通い慣れた警部の部屋に入っていくとボクの姿を見て一瞬だけ嫌そうな顔をした警部だったが、合格報告をすると一緒に喜んでくれた。もしかしたら、ボクが合格したことに対してではなく、これでようやくこいつから解放されると喜んでいた可能性もあるが。

出発の六日前に中古の四輪駆動車を手に入れた。

イスズの四輪駆動ピックアップトラックKB280で、かつて日本でもロデオという名前で販売されていたモデルだ。日本での販売が終了した後も海外では生産販売が続いており、南アフリカではGMの工場で組み立てていた。モスグリーン色のダブルキャブタイプだが、荷台部分には鉄製キャノピーが取り付けられており見た目はSUVのようだ。前オーナーがオフロード仕様に改造して乗っていたようで、タイヤは標準仕様ではなく外径の大きなオフロードタイヤを履かせて最低地上高を上げており、フロント部分にはフォグランプを装着したブルバーが取り付けられていた。

購入時点での走行距離は、すでに地球五周以上を走っている二一万キロ。軽い気持ちで選んだこの中古車が、その後の旅でどれだけ苦労させられるかなどまだこの時は夢にも思っていなかったのである。

出発の五日前にテントを買い替えてアウトドア用品を揃えた。

予行演習での教訓を踏まえ、重さは完全に無視して居住性だけを重視して改めてテントを買った。まさか一カ月で二つもテントを買うことになるとは思ってもいなかったが、今度のテントは室内の高さが一六五センチもある四人用で広々として快適そうである。さらには、夜の必需品であるランプ、頭に装着するので両手が自由に使えるヘッドライト、地面に石があっても大丈夫なように寝袋の下に敷くマット、自炊用のガスバーナー、調理器具、テントを張るためのハンマー、食料用の車搭載冷蔵庫なども購入した。

娯楽としてのアウトドアを楽しむ周囲のキャンパーたちと比べて、意に反してストイックなサバイバル感を出してしまった予行演習など今は昔の話。

「何も何も、小さきものはみなうつくし」

清少納言が枕草子で書いた我が大和民族の美学は、アフリカでキャンプに行く時は発揮しなくても良いと学習したのだ。少なくとも車とテントは大きなものの方が絶対にいい。これで車に続いてキャンプ道具も揃い、なんとか形の上だけでも出発に間に合った。

出発の三日前に予防接種を受けた。

ケープタウンにはいくつかの旅行医学専門のクリニックがあり、渡航先や旅行スタイルに合わせた医療アドバイスをしてくれる。今回の旅について相談をしたところ、キャンプで土を触るので破傷風、汚染した水を飲む恐れもあるので腸チフス、衛生環境の悪い場所へも行くのでA型肝炎の予防接種をしておけば十分とのことだったので三本連続で筋肉注射を打ってもらう。

最後に、医者に勧められてシリンダー、注射針、消毒ガーゼが入った注射器セットを買った。もし旅先で病気になって注射を打ってもらうことになった場合、自前の注射器を使ってもらうためだ。場所によってはまともに医療器具が整っていない診療所しかない可能性もあり、そこで使い古しの注射針を使われるとHIVに感染するリスクが出てくる。そのリスクを避けるための自衛手段である。

いよいよ翌日は旅立ちの日である。

初めての本格的アウトドア・デビューに向けてやってきた準備が万端なのか不足なのか考えてみたが、何が不足しているのかが分からなかったので準備万端だと無理矢理に納得することにした。アドバイスを貰えるような経験者が残念ながら周囲にいなかったので手探りで準備を進めざるを得なかったが、初めてのことをしようとする時はある程度は割り切って考えるしかない。

車でアフリカを旅することを思い付いた当初は期待に胸躍らせていたが、強制出発が決まってからは常に焦燥感に駆られた日々だった。無事に旅に出られるかどうかの一点に意識が集中して、旅そのものについて考える余裕がなかったのだ。免許証、車、アウトドア用品と考え得る最低限の準備が整った状態で旅立ちの日を翌日に迎えて、とにかく間に合って良かったという安堵の気持ちしかなかった。

まだ旅が始まっていないのに妙な達成感を抱きつつ眠りについたが、まさか翌日からさっそく旅の洗礼を受けることなど夢にも思っていなかった。

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