あいつ今何してる?(ムガベ編)3

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南アフリカのマンデラ

Nelson Mandela-2008 (edit)By South Africa The Good News, CC2.0, Wikimedia

ジンバブエのムガベ

Robert Mugabe May 2015 (cropped)By Kremlin, CC4.0, wikimedia

偉人と呼ばれる男と、独裁者と呼ばれる男。

南北で隣り合った2つの国に生まれた対照的な指導者だが、実は二人には似ている部分も多い。

二人の共通点

長い投獄経験

まず、南アフリカもジンバブエ(かつてのローデシア)も白人政権時代にはアパルトヘイトがあり、マンデラもムガベも自由の戦士だったため長期間投獄された経験を持つ。

元々弁護士だったマンデラは27年を監獄で過ごし、収監中に南アフリカ大学の通信課程で法学士の学位を取得している。

一方のムガベは11年を監獄で過ごし、収監中にロンドン大学の通信課程で法学士と法学修士の2つの学位を取得している。

元々教師だったムガベは南アフリカに留学して文学士を取得した後も、働きながら南アフリカ大学やロンドン大学の通信課程で勉学を続けていて、収監中に取得した2つの学位を合わせると全部で7つも学位を持っている超インテリだ。

少なくともムガベがバカではないことは分かる。

アパルトヘイト直後に権力の頂点へ

次に、アパルトヘイトが終わった直後から権力の頂点に立ったのも、マンデラとムガベの共通点だ。

2人とも白人の旧支配層との融和政策をとって船出したが、マンデラは権力に固執せずわずか一期5年で大統領を辞して政界を引退。

一方のジンバブエの場合、独立後の初代大統領はただの名誉職だったので実質的に権力を握っていたのは初代首相であるムガベだ。

ムガベが第2代大統領になってからリアル大統領制に移行したので、1980年の独立以来37年も権力を握り続けていたのはムガベになる。

大統領の地位に対する執着心に対しては二人は全く違ったのだ。

共通問題

さらに、独立後の南アフリカとジンバブエに共通していた問題に「土地問題」がある。

独立する前のジンバブエは、人口比率で5%前後しかいない白人が国土の半分近く(農業適地の90%)を占有していた。

ジンバブエの面積は日本とほぼ同じなので、たった600万人で東日本を占有して、残りの1億1400万人は西日本に詰め込まれているような状態だ。

白人は大規模農場を経営していて、機械化された高効率な農場運営によってジンバブエをアフリカ屈指の農業大国にしていた。

でも独立したからには、ムガベ(黒人新政府)としてもこのあまりにも偏っている土地の配分を改める必要が出てくるし、その必要性自体は白人側も否定はしない。

ただ、独立にあたって白人の旧支配層と黒人の新政府が結んだ協定(Lancaster House Agreement)で、独立後10年間は新政府が土地を強制収用しないことが定められた。

つまり売り手と買い手の自由意志でしか土地売買はできず、白人所有者が「売らない」と言えば何もできない。

これは白人側の言い方をすれば「白人経営農場のジンバブエ経済への貢献を損なうことがないように、段階を踏んで土地の平等な再分配をするため」で、黒人側の言い方をすれば「白人の権益を守るため」だ。

その代わりに旧宗主国であるイギリスは、ジンバブエの土地改革のために必要なお金の半分を負担することになった。

これはイギリス側の言い方をすれば「開発資金援助」で、ジンバブエ側の言い方をすれば「植民地時代に奪った土地の補償」だ。

ただ自由意志である以上、白人側は土地を売らない(売る人もいたけど)ので土地の再分配は進まない。

10年が経って協定の期限が切れた後、ジンバブエ政府は「土地収用法」を成立させてようやく土地を強制収用できるようになった。

この新しい法律では、実際には農場として利用されていない休閑地や、所有者が外国に住んでいる土地などは強制収用の対象になる。強制とは言っても、補償金はきちんと払う。

今までのように所有者は「売らない」と拒否することはできないが、補償金に納得できない場合は政府と交渉をする権利を有していた。

ところが、さらに10年が経っても相変わらず国民へ土地の分配は進まない。

土地改革が進まなかった要因は地価の高騰などいくつもあるが、例えば補償金の不足がある。

これはジンバブエ側の言い分では「イギリスが要求額の半分にも満たない補償しかしなかったせい」だが、イギリス側の言い分では「本来は土地改革のための援助をジンバブエが軍事費に転用するなど不透明な運用をしていたせい」と、主張はそれぞれある。

さらに18年ぶりに政権が代わったイギリス(トニー・ブレア政権)が、それまで土地改革のために出していたお金をもう払わないと言い出した。

1997年11月5日付で、イギリスのクレア・ショート国際開発庁長官がジンバブエ農業大臣宛てに送った手紙(『Zimbabwe – Claire Short’s Letter Nov 5th 1997』)にはこう書かれている。

イギリスにはジンバブエの土地購入費用を負担する特別な責任があるというのは受け入れられないことを明確にしたい。

私たちは旧植民地の利害とは関係のない様々な背景を持つ人たちから成る新しい政府である。

私自身はアイルランド系であり、ご存じのとおりアイルランドは植民地化された方であり、植民地化した方ではない

急に「イギリスには土地問題の責任がない」と宣言したこの手紙は、ジンバブエ政府は当然のことながら他のアフリカ諸国にも大きな衝撃を与える。

独立してから20年も経つのに、独立時の目標であった16万人に土地を提供するという約束の半分も達成できていないジンバブエ。

未だに土地改革が進まないことに業を煮やしたのが独立戦争を戦った退役軍人たちだ。白人から自分たちの土地を取り戻すために戦ったのに未だに報われていないことに不満を募らせ、その怒りの矛先をムガベに向け始めた。

ムガベとしては批判が自分に集中することで権力の座から追われるのはイヤだが、土地改革のために必要な資金はイギリスが急に「私たちに責任はない」と出さなくなったので八方ふさがりだ。

お金はないが土地改革を進めるには、もう超法規的に補償なしで白人から土地を奪うしかない。

さらに批判の矛先を自分からそらすために、悪いのは全て白人であると国民を焚きつけることにした(と個人的に思っている)。

仮想でもいいから外部に敵を作り出すのは、手っ取り早く国民のナショナリズムを刺激するベタな手法。

「白人はアフリカの先住民ではない。アフリカはアフリカ人のためのもの! ジンバブエはジンバブエ人のためのもの!」

「我が党は我々の真の敵である白人の心に恐怖を与え続けなければならない」

「信頼できる唯一の白人は、死んだ白人である」

全て演説の中でムガベが放った言葉だ。

ところがムガベの言動とは裏腹に、実は彼は白人差別主義者ではないらしい。(Heidi Holland著『Dinner with Mugabe』)

ということは計算の上で民族主義を煽った・・・と考えるのが素直な見方かと。

そして2000年、退役軍人グループやムガベの民兵組織が白人経営の農場を暴力的に不法占拠する「ファストトラック土地改革プログラム」が始まった。

これがジンバブエの経済崩壊のはじまりである。

農産物というお金を生み出していた土地に、元ゲリラがただ住んだところで土地は一切お金を生み出さなくなる。

また今まで細々と畑を作っていた零細農家が急に機械が導入された大規模農場を手に入れても、運営できるノウハウがなく生産効率が下がる。

結果としてジンバブエの主な輸出品であったタバコの収穫量は80%減少し、トウモロコシなど農産物の収穫量は半減して大幅な貿易赤字になる。輸出できなくなったばかりか自国で消費する食糧も不足するようになり、深刻な食糧危機に陥る。

さらに、今までジンバブエ経済の柱だった大規模農場に雇用されていた人たちが職を失うことで経済が回らなくなると他の産業でも職を失う人も増える。結果として失業率が80%だとか90%だとか言われるようになる。

追い打ちをかけるように、イギリスは欧米諸国と共にジンバブエに対して経済制裁を発動する。皮肉なことに、土地問題のそもそもの原因を作った張本人イギリスが「ムガベは人権と財産権を侵害している」と非難したのだ。

ムガベは世界最悪の独裁者だ!と。

ところが、アフリカの目線だと白人支配からの独立を戦って勝ち取ったムガベはそもそも英雄。

白人が我々から奪った土地を力ずくで奪い返したムガベは英雄。

ジンバブエの経済が崩壊したのは(ファストトラックのせいじゃなくて)欧米の白人国家が経済制裁というイジメをしたせいで、イジメにもめげず白人をけちょんけちょんに罵るムガベは被害者であり黒人の英雄。

ヨーロッパ列強によって分割され植民地化され辛酸をなめてきたアフリカの人々にとって、白人に奪われた土地を強制的に取り戻し、欧米諸国を敵にまわして「戦い続けた」ムガベは英雄なのだ。

オレが勝手に思ってるのは、ムガベはブラックアフリカの人たちの深層心理にある旧宗主国コンプレックスを逆手にとって「逆境の中でも白人と勇ましく戦う英雄」像を演出していたポピュリストなんじゃないか?

大統領になってすぐからじゃなくて、2000年直前の土地改革が暗礁に乗り上げた頃から白人(イギリス)の対応に幻滅して見切りをつけたムガベは、諸刃の剣になるけど「欧米に嫌われてもアフリカで好かれる」戦略を取り出したんじゃないか?と。

そして、欧米(特にイギリス)に見切りをつけたムガベはルックイースト政策として今までより更に中国寄りになっていく。

個人的には、ムガベもマンデラのように権力に固執せず一期、せめて二期で権力を手放していれば(世界でも)評価は全く違うものになっていたんじゃないか?と思う。

ちなみに、南アフリカでもマンデラは最初の5年で白人の土地の30%を黒人に再分配することを目標にしていた。

結果は・・・失敗したと言ってもいいと思う。

マンデラは5年で引退しているが、アパルトヘイト終焉後16年間で再分配された土地は8%だ。

昨年末、南アフリカのシリル・ラマポーザ副大統領(次期大統領の最有力候補)は白人の土地を補償金なしで強制収用する考えを表明し、与党ANCはそれを可能にするために憲法を改正することを決議している。

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