ダナキル砂漠ツアー【1】イントロ

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ダナキル砂漠とは?

まさにアフリカ大地溝帯に位置し、地球上で最も年間平均気温が高く“世界で最も暑く過酷な土地”と言われる灼熱の大地。

一番の特徴はその景色で、火星世界と言われるくらい地球離れした風景が広がる秘境なわけです。

岩塩と火山ガスの硫黄が混ざり合って、この世の終わりのような極彩色の景色が広がるダロール。

砂漠内にあるアッサル湖は、死海よりも塩分濃度が高い塩湖。

大地溝帯らしく活火山がいくつもあり、エルタ・アレ火山には世界的にも珍しい溶岩の湖もあります。

砂漠好きには是非とも訪れてみたい砂漠、それがダナキル砂漠なのです。

こんな異世界みたいな景色なのにあまり有名じゃないのには理由が色々とありまして・・・

一番大きいのは、ダナキル砂漠がエチオピア軍とエリトリア軍が対峙する国境線の近くにあること。

30年にも及ぶエチオピアからの独立戦争を経て独立したエリトリアは、エチオピアとは犬猿の仲。独立後も国境を巡る紛争でお互いの首都を爆撃し合うなど、最近は大規模な衝突はないものの、偶に単発的な衝突が起きる両国。

もちろん国交はなく、国境はひとつも開いてない。

2007年、5人の外国人と13人のエチオピア人がダナキル砂漠で誘拐された事件では、エチオピア政府はエリトリアの仕業と非難したのに対して、エリトリア政府はエチオピアの反政府勢力の仕業と反論。

2008年、フランス人28人の誘拐未遂事件発生。

2012年、武装集団に襲撃されて5人の外国人が殺害、4人が誘拐された事件では、エチオピア政府は「エリトリアで軍事訓練を受けた勢力の仕業」と非難し、エリトリア政府は「全くのでたらめ」と反論。

気温だけじゃない、色々と熱い土地なんです。

そんな場所なのでダナキル砂漠に行くときはエチオピア軍の護衛を付けて行く必要があり、個人旅行は不可能でツアーでしか行けません。

軍事的な緊張が高まると当然ながら立ち入り禁止区域になるので、行くにもタイミングがある砂漠。

今もエチオピアでは最高レベルのテロ警戒態勢が発令されているものの、ソマリア絡みの問題でエリトリアとの関係は落ち着いていると判断しダナキル砂漠に行くことに。

エチオピアへの道

エチオピアの首都アジスアベバまでの航空券はトルコ航空が最安値だったものの・・・

往路32時間復路35時間!!

さすがにこんなに時間がかかるのはイヤだったので、羽田ドバイ間はエミレーツ航空、ドバイアジスアベバ間はエチオピア航空という組み合わせにしました。

それでも往路18時間・復路28時間もかかる・・・

まぁ、日本からエチオピアまで飛行機を使わずに行こうとしたら1年9カ月(実測)かかることを思えば夢のような速さ!!

ちなみに全航路をエミレーツ航空にしなかったのには理由があって、“エチオピア航空を使って出入国した外国人”向けに国内線運賃が半額近くになる割引制度を利用するためでした。

砂漠ツアー

今回、ダナキル砂漠にはEthio Travel and Toursという会社で手配してもらったツアーに参加して行ってきました。

日本からメールでやり取りをして、日程と料金を確認して予約。

ツアー自体はエチオピア最北のティグレ州の州都メケレからスタートし、現地集合・現地解散になります。

実際にツアーで周るのは、ティグレ州の東(右側)にあるアファール州。

今回、スマホに『山旅ロガー』という無料のGPSロガー・アプリを入れてルートを記録しようと思っていたのですが・・・なぜかアプリが衛星を捕捉できず、初日と最終日しかログが取れなかった。

より大きな地図でDanakil depressionを表示

いちおうログをGoogle mapに貼り付けてみました。

地図を見れば一目瞭然だけど、ダロール(最も北にある赤マーク)はエリトリアとの国境から直線距離でわずか15kmしかなく、文字通りの最前線なので、ここに行く時だけはユニットレベル(通信兵や狙撃兵を含む)のエチオピア軍が護衛で同行します。それ以外は武装した護衛1人だけでした。

ツアー料金は3泊4日300~500USドル

オレはとにかく出発日にこだわっていて、あまり料金にはこだわっていなかったので400USドルで参加しましたが、ツアー自体は大満足で最後に「チップをあげようかな?」と思ったほどです。

ガイド、料理、水などの準備・・・全て文句はなかったです。

ツアー参加者は、27~8人とけっこうな大人数。

これにガイド、コック、護衛が加わり、ランクル7台でコンボイを組んで行きます。

ツアー参加者の中で最大の民族集団は日本人でした・・・

なんだか閉鎖的な雰囲気漂う5~6人のバックパッカー集団と、アフリカ大陸縦断中のバックパッカー1人、そしてオレと友達の合計8~9人が日本人。

次に多かった民族集団はポーランド人

3才と6才の子供を含む7~8人はいたかな?

これ以外に、ロシア人、イスラエル人、中国人、フランス人、ギリシャ系アメリカ人とエチオピア系アメリカ人が、各1~4人ずつ。

オレと友達は、アルプスで山岳ガイドをしているというフランス人の夫婦とランクルが一緒だったので、移動が多いツアーのほとんどを彼らと過ごしたことになります。

3泊4日のツアーの大まかな内容は・・・

3泊ともお外で寝ます。

1泊目と3泊目は、ハメッド・エラというアファール族の村で露天泊。

ベッドを外に並べて、上にマットを敷いて寝ます。

ここはエチオピア国軍の基地も隣接しており、基地(見た目は村と変わらないけど)に行けばバーがあって冷えたビールが飲めます。

2日目だけは、エルタ・アレの山頂で寝ました。

ヤギの糞がゴロゴロ転がっている地べたにマットを敷いて、その上に寝ます。

マットはツアー会社で人数分の準備をしているので、寝る時はそれを使います。

マットがなかったら、1人だけ寝袋を持参していなかったオレは途方に暮れてましたね・・・

ちなみにエルタ・アレの山頂に行く時は、マットや水はラクダに載せて運んでくれるので、自分で持って山を上り下りする必要はありません。

食事は、コックが毎食作ってくれます。

ビュッフェ形式で、足りなくなれば幾らでも足してくれたので早い者勝ちではなく、みんなに十分行き渡る量がありました。

毎回、テーブルをセットして食事タイム。

味付けもなかなか美味しく、コック担当に聞いたら「隠し味でソイ・ソースを使ってるんだ!」と言ってました。

これは、ヤギを遊牧させていたアファール族と夕食の材料を交渉しているところ。

嫌がっているヤギより、右端のおっさんの足の細さの方が気になりますが・・・

1匹700ブル(3,500円)で買いたいこちら側と、1,200ブル(6,000円)で売りたいアファール族とで交渉は決裂。

その日の夜にヤギは出てきませんでした。

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