小笠原諸島【4】飛行場建設計画

スポンサーリンク

返還50周年

今年2018年は小笠原返還50周年だ。

太平洋戦争で日本が負けて以降アメリカの統治下に置かれていた小笠原諸島が日本に返還されてから50年が経った。

小笠原諸島が返還されたのは、沖縄が日本に返還される4年前。

この小笠原返還50周年に合わせて東京都が飛行場建設とか記念事業的なことをぶつけてきそうな気もするが、どうなるんだろう。

タビリス『小笠原空港は「父島・州崎案」で決着するか。2018年に飛行場建設に方向性

世界自然遺産の島だけに、環境問題がかなりネックになりそうではあるが・・・

飛行場建設問題

そもそも父島も母島も地形的に飛行場建設に適さないから、父島から300km離れた硫黄島に飛行場を建設したはず。

だからこそ太平洋戦争で飛行場を巡って激しい地上戦が行われたのが硫黄島であり、父島も母島も飛行場がなかったからある意味で助かった部分もあるんじゃねーか?と。

日本本土を爆撃するためにB-29をサイパンから飛ばした時、ちょうどサイパンと東京を結ぶ直線状に位置しているのが小笠原諸島であり、小笠原諸島の中で唯一まともな飛行場があるのが硫黄島だったわけで。

硫黄島の飛行場から飛び立つ日本軍の戦闘機にB-29を撃墜されちゃうと困るってのもあるし、逆にそれを解決すればサイパンから日本本土までは撃墜される恐れなく一気に到達できるってのもある。

厳密に言うと父島にも海軍の飛行場はあったけど滑走路が500mと短すぎる。

より長い1200mの滑走路を備えた飛行場を持つ硫黄島の方が父島よりも価値があったと。

実際、米軍は硫黄島を占領後に滑走路を拡張してB-29爆撃機が離着陸できるようにしている

小笠原諸島硫黄島ね・・・行ってみたい島ではある。

個人的には梯久美子著『散るぞ悲しき~硫黄島総指揮官・栗林忠道』を読んで以来、硫黄島に興味津々なのだ。

読後にはついつい栗林閣下っ!と叫びたくなる、そんな本です。

ちなみに現在、もし父島で急患が出た場合はどうするのか?というと・・・

陸上だけではなく海面にも着水できる救難飛行艇US-2が厚木基地から父島に飛来。

出典:海上自衛隊ホームページ

父島の二見湾に着水後、湾に面した海上自衛隊の基地まで自走。

島の救急車をUS-2に横付けし、救急患者をフォークリフトでUS-2に積み込み。

その後、US-2は二見湾から離水して東京へ。

ちなみに搬送要請があってから都内の病院に収容されるまでに平均9時間半かかり、最長では32時間かかったそう。

これが夜間の場合や、母島の場合だとどうなるか?というと・・・

US-2は飛行場のある硫黄島へ。

硫黄島から海上自衛隊のヘリコプターが飛んできて、患者をいちど硫黄島に搬送。

硫黄島で患者をUS-2に積み替えて東京へ。

Mi-26推し

で、父島に飛行場を建設するくらいなら旅客型飛行艇を運行させたら?みたいな話も出るらしいが、現実性に乏しいようだ。

そもそも1機当たりのコストがバカ高いことと、海面着水時の衝撃などで修理・維持費もかさむらしく、実現したとしても万年赤字路線必至だろう。

かつて横浜国際航空という謎の航空会社が横浜と父島を飛行艇で結ぶ計画だけ立ててそのまま倒産していたが、実現できるくらいならとっくに話が進んでるだろうし。

でも、もし仮に飛行艇での航路が出来たらすげー面白そう!とは思うけど。

今のところ現実性は低いけど、オスプレイが有名なティルトローター機とかでも面白そう。今よりもっと大型化して輸送能力が増えるようになるまであとどれくらいの年月がかかるか?だけど。

やっぱ、ここはロシアの大型ヘリコプターMi-26を就航させるのが一番だと思うけど。

Panh Mil Mi-26.jpgPhoto by By Leonid Faerberg [GFDL 1.2], via Wikimedia

定員80名で輸送能力も問題なし、航続距離1900km以上で本土と父島を無補給で飛べる。

島民的には飛行場建設は悲願らしく、そのアクセスの悪さが小笠原の自然を守っている側面もある以上なかなか難しい問題だろうけど、オレはMi-26採用案を推す。

スポンサーリンク
広告(大)
広告(大)

この記事をシェアする

フォローする

関連コンテンツユニット
スポンサーリンク
広告(大)